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マーちゃん

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新年早々母方の祖母が危篤で帰省した。
九州に帰るのは実に四年振りだった。


母の実家は佐賀県唐津市という田舎の城下町で、
野口内科という病院を経営している。
最近母の兄が二代目に就任して、
80近い祖父が大先生に退いた。


祖父が一代で築いた病院だが、
それを支えながら三人の子供を育てたのが危篤の祖母、
通称マーちゃん。


田舎なだけに市内では有名人で、
街を歩けば皆が話し掛けてくる。
色眼鏡にハイカラな服を着て、
善く歩き、善く笑い、本当に気さくな人だった。
ボクは子供ながらに、そんなマーちゃんを
とても誇らしく思っていた。


母は三人兄弟の真ん中だが一人娘という事で、
一番早婚でボク等兄弟は初孫からの三人だった。
それはもう可愛がってくれて、誕生日には何時も
箱いっぱいにプレゼントを詰めて送ってくれた。
とても裕福な割に金に物を云わせた物じゃなく、
箱に手描きの絵が描いて在ったり、
大きなバースデーカードが入っていたりと、
手作り感いっぱいの素朴なプレゼントがまた嬉しかった。


うちの両親は二人とも九州出身で、
お嬢様の母が祖父の猛烈な反対を押し切り、庶民の父に嫁いだ。
その後父の仕事の関係で、
ボク等が生まれる前に神奈川に越してきた。
だから親戚とは正月に帰った時に逢うぐらいで、
ボクは何時も何処と無く緊張していた。


だけどマーちゃんだけは違った。
忙しい癖にしょっちゅう独りで神奈川迄逢いに来てくれてたし、
大人らしくない気さくな人だったので、
ボク等は気兼ね無く一緒に居る事が出来た。


本当に不思議な人で、云い方を変えれば変人だった。
いきなり流暢なドイツ語で歌い出したり、
兎に角テンションが高くて訳の解らない言葉を連呼、
ドアを開けると被り物をして登場したり、
握手すると偽者の手が取れてビックリさせたりした。


歌や絵がとても巧く、文才も在った。
絵付きの童話を交互に数ページづつ書いて、
二人で物語りを完成させるリレー童話という遊びを、
離れている時は郵送して遊んだ。
兎に角発想が凄くて飽きなかった。
新聞にコラムを掲載したり、本を出版したりしていた。
内容はしばしばボク達孫の話だった。
大して自慢にも成らないボク等の事を、
何時も誇らしげに書き綴っていた。


子供っぽくて、我儘でマイペース、
だけど陽気で優しい人。
皆マーちゃんが大好きだった。


だけど五年程前に交通事故に遭ってから、
認知症が進行し始めて段々と弱っていった。
それでも一生懸命リハビリして、
ボク達の事を忘れずに居てくれた。


それなのに年末に急に倒れた。
急性くも膜下出血だった。
二週間以内にもう一度血管が破裂したらまず助からない。
二週間を乗り切っても危険な状態は続くらしい。
年齢的や体調的にも手術は無理らしい。


駆け付けた時はもう意識も無く、
ICUで沢山管を付けて横たわって居た。
久しぶりに逢ったマーちゃんは、
随分と小さく成って曾お祖母ちゃんそっくりだった。


一日三回、一回三十分の限られた面会時間に、
皆で身体を擦りながら出来る限り話し掛けた。
マーちゃんの好きな物や場所、
昔話を交えて涙混じりに話し掛け続けた。
途中目を開けて何か云いたそうに口をパクパクさせたけど、
すぐにまた眠ってしまった。


向こうに居る間に、
お祖母ちゃんと二人暮らしの彼女が電話で、
お祖母ちゃんが何度も同じ話をしてきて面倒臭いと云っていた。


正直羨しかった。
元気な内にもっと沢山話がしたかった。
同じ話でも何度だって聞きたかった。
もっと逢いに行ってあげたかった。
マーちゃんの歌を聴く事も、
冗談で笑う事も出来無い。
元気に成って欲しいと心から願っているけど、
どうしてもポジティブに考えられない。


完全に身内ネタだし、
これ読んでる人はマーちゃん知らないだろうけど、
まぁ要するに自慢の婆さん自慢をしたかったんだ。
聞いてくれて有難う。
Posted at 12:46 | Diary
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