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自分の話

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ボクの事知ってる人って、
今迄の人生でどんくらい居たんだろう?
ってふと思ったんだよね。
元旦からさ。


振り返るとさ、
自分の話ってあんまして来なかったなって。
そりゃ皆自分の話聞いて欲しいだろうからさ、
やっぱり聞き手に廻りたく成るよね。


どうせまた自分の話しなく成るだろうからさ、
年の始めぐらい自分の話をしておこうかな
って思ったんだ。
読み辛いし、つまんない話だけどさ、
理解を求めると言葉に詰まるから、
在りの侭を書いてみようと思うんだ。


まずボクが自分の話しないのは、
隠してる訳じゃなくて、訊かれないから。
ボクは興味在る人にはどう思ってんのかとか、
どういう人なのかとか知りたくなるから、
沢山質問を投げ掛けるのね。
そう考えるとボクの中で、
質問されない=興味無い
っていう構図が出来上る訳ね。


興味無い人の自分の話なんて勿論聞きたく無いだろうから、
自分からは申し訳無くて話せないし、
親しい人だったら、
何も訊いてこないって事は解ってくれてんのかな?
と思ってしまう訳ね。


だけどたまに質問してくれる人も居るんだよ。
そんな時大抵言葉に詰まったり、
曖昧な事を云ってしまって、
何も考えて無い人だと思われてしまうのだが、
実際の処、考えてる事や伝えたい事は山程在る。


何でそう成ってしまうのかというと、
折角訊ねてくれたのだからちゃんと伝えようと思う余り、
結局言葉に成らないんだよね。
ボクの世界の中では当たり前の事を、
その侭話しても相手の世界の言葉に置き換えられた時に、
色んな大事な部分が削ぎ落とされて、
伝えたい事と別の意味で捉えられてしまう。
どうも色々と複雑らしく聞き手を困らせてしまう事もしばしば。
または強引に決め付けられて話を進められてしまう。


別にそれで相手に腹を立てているとかじゃなくて、
むしろ申し訳無いなと思う。
だから必死でどう話せば理解して貰えるか考える訳だが、
やっぱり考えている事が複雑らしく、
解り易く纏める事が出来無くて言葉に詰まる。


こうして日誌を書いている間にも、
きっと理解に苦しむ話なんだろうなと思っている。
全然違うニュアンスで伝わって誤解されてしまうのが恐しい。
何故にもっとシンプルに伝えられないのだろうか。


そもそもボクは口下手な訳では無い。
只自分の事を説明する事がとても苦手だ。
だけれども、自分の事を理解して欲しいとも思うし、
自分に接してくれる人達にちゃんと伝えたいと思ってる。
理解者が居ない事は孤独だし、
誤解される事は何よりも辛い。
そうじゃないと弁明したくても何時も言葉が見つからない。


ボクは言葉が足らないし、
言葉にしなくちゃ解って貰えないってのも承知している。
伝え切れないもどかしさを常に抱えている。
だけど聞き手を苦しめるくらいなら、
誤解されるくらいなら、
伝え切れない言葉ならいっそ咽み込んでしまった方が、
楽な気がしてしまう。
その分態度で示そうとしてみても、
やっぱり簡単には伝わらない。


誰かを想う気持ちとかも、
簡単に言葉に出来無くて途惑う。
口を零れた瞬間、
とても安っぽく有り触れた言葉に成ってしまう。
想いを超えない言葉達を沢山咽み込んでいる。
それでも言葉を求められる。


口にするのは簡単だけど、
必要なのは想いの方じゃないかとか、
詰まらない事を考える。
何度も口で云われても、
想いが伝わって来なければ、
ボクは全然嬉しくない。
そんな事は相手にとっちゃどうだって善いのに。


結局ボクはこういう人間だから、
在る日詩を書く事にしたんだ。
そんで歌ってみようと思ったんだ。
喋るよりも、少しでも伝わる様な気がして。
これが下手糞な癖にボクが歌い続ける理由なんだと思う。


ボクの事知ってる人なんて、
世の中にほんの一握りだけれども、
何か在った時に何時も駆けつけてくれる人や、
然り気無く声を掛けてくれる人達には、
やっぱりちゃんと伝えていきたいなって思ってます。


読むのも面倒臭い、纏まりの無い解り辛い日誌だったけれども、
それでも少しでも理解しようとしてくれた人に、
この一言でどんくらい気持ちが伝わるか解んないけども、
有難う
と伝えたい。
今年も宜しく。

https://atori.motherbicycle.com
Posted at 08:42 | Diary
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