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敢えて問う

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最近、ボクにしては短気だ。
別にイライラしている訳では無く、
正確には自分の感情に正直に成っている。


理不尽な事には腹が立つし、
やりたくない事はやりたくないし、
興味を持たれない事は淋しい事だし、
好意を持たれる事は嬉しい事だ。


特に深い意味も無くただただ思った侭文字を並べるのも、
何とも表現し難い清々しいもので、
この我侭な状態に思わず味をしめそうに成る。
特にこれと云った悩みも無く、
辛い事も無い。
強いて云えば胃腸の調子はすこぶる悪い。


こういう自分で在っても恐らく受け入れてくれるだろう人が、
数人でも存在し得るという事実は、
何にも代え難い財産で在ると何も無いながらに噛み締めている。
どうして今こんなにも理性が働いていないのかはよく解らないけれど、
兎に角制限が外れているという事は気持ち悪い程に気持ち好い。


包み隠さずに誰にも配慮せずに在りの侭で居られる事を許されるのならば、
一切の際限無く存分に発揮出来るのだろうが、
そんな自分を端から見て近寄り難く感じられるし、
この不親切な内容では多くにとって理解されないで在ろう事も理解出来るのは、
常識という概念が幸か不幸かしっかりと植え付けられているからで在って、
自分という存在を疏遠に思われるのはやはり耐難いのです。
誰しも抱えているで在ろうこの葛藤ですが、
ボクの答えは歩み寄り、狭苦しい共通項の中での自己実現の在り方です。
アナタ方はどの様に考えますか?
Posted at 00:46 | Diary
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